地上げ屋がディベロッパーになった日


不動産

 不動産というのは、85年ころまでは値上がりをする確実な資産でした。60年代までは、不動産というと更地分譲が中心で、人々にとって不動産そのものをいかに手に入れるかが大きな関心事でした。不動産広告の新聞を見て現地に行くと、すでに何人もの人が並んでおり、購入するには2日前から並んで整理券をもらうことも珍しくなかったのです。学生をアルバイトに使って列に並んでもらった人もいるぐらいで、不動産や住宅を買うというのは戦争時代の配給と同じに貴重なことであったのです。
 当時は、年平均で16%も地価が上がる時代であり、高い金利でお金を借りてもわりに合ったのです。しかし、銀行は個人が家を購入するために資金が欲しいといっても、相手にさえしない時代でした。銀行がお金を貸す相手は企業だけであり、ローンもなかった時代ですから、人々は月賦で不動産を買ったわけです。当時は定年は55歳であり、50代の人たちが5年月賦、長くて7年月賦で不動産を買った時代です。やっと住宅ローンが生まれたのが70年前後です。銀行は個人に貸す場合、自宅購入を条件につけました。自分が住むという証明をしないかぎり、銀行はお金を貸さなかったのです。いまと違って個人を相手にするのはテマヒマがかかると銀行は思っていた時代です。銀行が個人を本気で相手にするようになったのは、ごく最近になってからです。

企業

 銀行は大企業にまず貸し、次に中小企業に貸し、最後に個人に貸すという歴史をたどっているのです。こうした全体の構造を支配していたのが旧大蔵省を頂点とする護送船団方式でした。その上に乗ってバルブをひねって、お金の流れを調整していたのが日銀です。日銀のバルブの調整加減で、お金が下に向かってざっと流れていく仕組みであったわけです。ところが、いつの間にか日本全体が金持ちになり、企業も個人もお金を持つようになりました。
 85年の“プラザ合意”以降低金利、カネあまりが続き、企業への貸し付けも伸びず個人への貸し付けも限界があるなかで、銀行が目をつけたのが不動産への融資です。街の不動産屋や地上げ屋にもおカネをどんどん貸すようになったのです。ディベロッパーから手数料をもらっているだけではバカバカしくなった地上げ屋が、ある日自らもディベロッパーと称する名刺を出すようになり、びっくりさせられました。銀行ではいくらでもお金を貸すからもっと不動産を買えとそそのかし、銀行の支店長がそれぞれ支店ごとにお出入りの地上げ屋を抱え、自らがその師団長となり土地を競って買い漁ったのです。


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